1980年代後期、トヨタは中国向け輸出を拡大する戦略に夢中し、対中国投資を「時期尚早」と考えていた。しかしその時期に、ドイツのフォルクスワーゲンが一足先に中国乗用車市場に参入した。1990年代から、アメリカ、フランス、イタリア等の国の自動車メーカーも対中国投資を始めた。こうして1990年代後半に至って、中国の自動車産業の戦略構図の中、日本メーカーがすでに度外視された。日本の自動車産業界は自らの誤った対中投資予測のため、大きな代価を支払った。近年、中国の自動車産業の著しい発展を背景に、世界最大の自動車市場を前にして、トヨタ、日産等が以前の教訓から学習し、中国の自動車産業に投資過熱が現われた2003年にも、生産能力が過剰であると言われた2004年にも、毅然として投資を拡大し続けた。その時、中国の自動車産業市場への参入には当然より大きなリスクを伴うのである。しかし、投資しない方が投資拡大よりもリスクが大きいのである。言い換えれば、投資しなければ、中国市場へ参入できず、更に中国市場から追い出される恐れがある。いわゆる「羊を失ってから檻を修理し、後の手当でも遅いことはない」ということである。この例証から分かるように、もし日本は、実は存在していない「空洞化」を過度に心配するならば、中国という世界最大の市場を失うのである。
最後に、2008年5月7日に日中政府が調印した『日中戦略的互恵関係を推進する共同声明』の言葉を引用して、本報告を締めくくりたい。「日中関係は正に新しい転換点にあり、更なる発展という新しいチャンスを直面しておる。双方は共に努力して、日中戦略的互恵関係を全面的に発展させ、新しい局面を築き上げていかなければならない」。今後、中日の貿易を行う上で、双方が長期的な視野を持ち、互恵によって両国の国民に恩恵を与えるという原則に従えば、日中貿易·経済協力は必ず様々な障害を乗り越え、ますます発展していくことができると私は確信する。
注:
① 劉寧:『仮如中国失去日本』、『南方週末』、2008年5月8日B11版から再引用。
(孫犂氷訳 區建英校)
ポスト冷戦期における東アジアの国際関係―冷戦の残滓克服に向けて―
新潟国際情報大学教授 小澤治子
冷戦の終焉が言われるようになって、20年近くが経過した。しかし、東アジアでは依然として冷戦構造が残っている。朝鮮半島情勢は予断を許さない。日本とロシアの平和条約は,第二次大戦終結から60年以上経たにもかかわらず、領土問題の存在ゆえに締結されていない。さらに日本と中国,日本と韓国の間には時として国益のぶつかり合いが生じている。東アジアの緊張緩和に向けて,何が必要であろうか。
1.9.11以後の米ロ関係
2001年9月11日に起こったアメリカにおける同時多発テロ事件の結果,「テロとの闘い」と対米協調がロシア外交の基軸に据えられる。プーチン大統領は5項目にわたる対米支援政策を発表し,また翌2002年5月には米ロ双方が保有する核弾頭を十年間で冷戦期の5分の1から6分の1にまで削減することを約束した戦略攻撃戦力削減条約が調印された。2003年3月,アメリカ等によって開始されたイラク攻撃をロシアは中国やフランス、ドイツと共に批判し、国連がイラク問題の解決にあたって中心的役割を果たすべきことを主張したが、この問題がロシアの対米協調姿勢に大きな変化をもたらすことはなかった。ロシアは国際社会におけるアメリカの単独行動主義を批判しつつも,アメリカとの対立の回避を外交の最優先課題に置いてきたといえよう。①
しかし、米ロ間に存在する対立要因は枚挙に暇がない。まずNATOの東方拡大問題がある。20世紀末にポーランド,チェコ,ハンガリーの3カ国がNATOに加盟したのに続いて,2004年6月,旧ソ連構成共和国のバルト3国(エストニア,ラトヴィア,リトアニア)が他の中東欧4カ国と共にNATOに加わった。ロシアは旧ソ連諸国にNATOがさらなる拡大を続ける可能性に強い警戒感を示している。さらにアメリカのミサイル防衛システムをポーランドやチェコなどの中東欧諸国に配備する計画が明らかになったことによって、2007年から2008年初めの米ロ関係は緊張が高まった。加えてイランの核開発問題,旧ユーゴ·スラヴィアを構成したセルビアからのコソヴォ自治州独立問題など米ロ関係は火種を抱えている。ロシアはこれらの問題に対し,グローバルなレベルでのアメリカの一極支配の現われとして,反発を強めてきた。
では冷戦の復活はあるのだろうか。確かに上記の諸問題をめぐる米ロの利害対立は今後とも予想されよう。しかし、核兵器を保有する米ソ両超大国がイデオロギーの違いに基づきそれぞれの軍事ブロックを従えて対立し合った構造は、21世紀の国際政治の構図とは大きく異なっている。ロシアはアメリカなど「西側諸国」とともに主要国首脳会議(サミット)の構成メンバーである。また米ロ間ではエネルギー問題,核不拡散問題などグローバル·イシューについて話し合う専門家会議が形成され,新たな冷戦を回避する努力が積み上げられてきた。いわばその成果として、2008年4月の米ロ首脳会談において安全保障,国際問題全般,エネルギー分野での協力など包括的な協調を掲げた「戦略的枠組み文書(ソチ宣言)」が採択されたのである。②
以上のように、21世紀の国際関係において冷戦構造の復活は想定しにくい。またアメリカの一極支配を牽制するロシア,中国,EUなどの役割に留意する必要があろう。
2.中ロ関係と上海協力機構
21世紀にはいってからの中国とロシアの関係進展はめざましいものがある。2001年7月には中ロ善隣友好協力条約が調印され,また2004年10月,両国は長年にわたる国境問題のすべてに法的な決着をみた。それを象徴するように2004年の中ロの貿易量の総額は200億ドルを超過した。③では、ロシアと中国の2国間関係の進展はアメリカの一極支配構造に対抗する性格を示すようになり、やがては中ロの軍事同盟関係が形成されるようになるのであろうか。
関連して,上海協力機構の性格に言及しておきたい。1996年4月,中国と旧ソ連諸国間の国境をめぐる緊張感和をめざして中国の呼びかけによって発足した「上海ファイブ(中国,ロシア,カザフスタン、キルギス,タジキスタン)」は、2001年6月にはウズベキスタンが加わって「上海協力機構」に改編され,中国,ロシア,中央アジア諸国間の安全保障や経済統合などを協議する地域協力機構として発展してきた。2005年8月、中国とロシアはこの機構の枠組みの中で「反テロリズム」を掲げて合同軍事演習を行った。さらに2007年8月には上海協力機構に加盟する6ヶ国によって大規模な合同軍事演習が行われたことにより、上海協力機構が反米的性格を示すものであり、中ロの「軍事同盟」がその中核をなすのではないかとの見方が日本国内外の一部の識者によって示された。④
確かに上海協力機構の参加国の間ではアメリカの一極支配体制への反発が大きい。しかし、それをもってこの機構が反米的性格を持つと決めつけたり,中ロの軍事同盟の可能性を論じるのは適切ではない。第1に,ロシアも中国もアメリカとの対立回避を外交の基本原則に据えている。ロシアも中国もグローバルなレベルでは互いに相手との関係よりもアメリカとの関係をむしろ重視し,中ロの緊密化によって対米関係の悪化を招くことを双方とも望んでいない。第2に,上海協力機構に加盟する他の諸国もアメリカとは様々な利害関係で結ばれ,アメリカとの良好な関係を求めている国もある。また加盟国間の利害関係は一様ではない。よって中ロ関係や上海協力機構を冷戦の文脈でとらえることは不可能である。
3.6カ国協議と北東アジアの安全保障システム
2002年10月に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核開発問題が発覚したこと、続いて2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射,10月の核実験断行によって、東アジアの情勢は緊迫の度合いが高まった。この問題は朝鮮半島に依然として分断国家が存在し,冷戦構造が続いていること、北東アジアには包括的な安全保障システムが機能していない現実をあらためて提起することとなった。北朝鮮の核問題を協議する場として設けられたのが、韓国,北朝鮮,中国,アメリカ,ロシア、日本が参加する6ヶ国協議である。しかし、北朝鮮に核開発を断念させるために何が必要かという最も重要な問題をめぐって、6ヶ国協議に参加する各国の立場は異なっている。北東アジアで包括的な安全保障システムを構築するために克服すべき課題はあまりにも多い。
北東アジアで安全保障システムを確立するにあたって参照すべきはARF(ASEAN地域フォーラム)であろう。ARFは1994年に第1回の会合を開いて以来会合を積み重ね,21世紀にはいり参加メンバーは,ASEAN10ヶ国に加えて日本,オーストラリア,カナダ,アメリカ,中国、インド,ニュージーランド,ロシア,韓国,EU、パプアニューギニア、北朝鮮などに拡大した。⑤確かにARFは対立国も含めて構成される協調的安全保障の枠組みであるため、何らかの強制措置を行使することはできない。あくまでも非対決的な手段によって参加国間に平和の構造を根付かせていく以外にはシステムとして機能する方法がない。よって果たし得る役割には限界がある。しかし、だからこそ多くの参加国を取りこむことが可能であったといえよう。注目すべきはARFには6ヶ国協議のメンバーすべてが参加していることである。6ヶ国協議がARFと連携し,緩やかであっても包括的な安全保障システムを構築できるなら、東アジアにおける冷戦構造の残滓の克服に向けて一歩を踏み出したといえるだろう。
4.日本外交の課題
東アジアにおける冷戦の残滓を克服するために日本外交が果たすべき課題は何であろうか。第1に日米安全保障体制を機軸としつつもその体制の強化には歯止めをかける必要がある。冷戦構造崩壊後の1990年代に日米安保体制の再定義が行われ,また新たな防衛協力の指針(ガイドライン)が定められた。結果9.11以後日米安保協力は着実に強化の道を歩んできた。しかし、アメリカの一極支配を強めるそうした方向性は東アジアの緊張を高める恐れがあるのみならず、多極世界構築に向けた国際政治の流れの中でかえって日本が孤立する危険が生じる。日本は多国間、地域間の安全保障システム構築にもっと関心を向ける必要があろう。その点で1990年代末から日本とロシアの安全保障交流が進展してきたことは、日米ロの安全保障協力が可能であることを示している。⑥
第2に,ロシア,中国,韓国などとの間に横たわる領土問題を「半分ずつ分け合う」精神で解決に導くことである。確かに二国間関係が良好な時は、領土問題が大きく表面化することはない。しかし反面、領土問題は歴史認識問題と密接不可分であり,各国それぞれの主張にはそれなりの根拠がある。よって二国間関係が悪化すると,領土問題は大きなとげとなって現れる。日本が抱える領土問題を「半分ずつ」の精神で解決するなら、東アジアの国際関係は大きく好転しよう。⑦その際「共同利用,共同統治」の考えを採用し,国境の壁を低くすることができるなら、冷戦の残滓は着実に克服されるであろう。
注:
①小澤治子「ロシアの外交戦略と米国のユニラテラリズム―イラク戦争をめぐる米ロ関係を中心に―」『ロシア·東欧研究』第33号、2005年9月、36-46頁。
②『日本経済新聞』2008年4月7日。
③小澤治子「旧ソ連圏をめぐる米ロ関係の基本構造」『新潟国際情報大学情報文化学部紀要』第10回記念号、2007年5月、92頁。
④同上。
⑤高橋正樹「ASEANが主導する東アジア地域協力と日本」(佐々木寛編『東アジア<共生>の条件』、世織書房、2006年3月)229-230頁。
⑥小澤治子『ロシアの対外政策とアジア太平洋―脱イデオロギーの検証―』(有信堂、2000年12月)187-189頁。
⑦岩下明裕『北方領土問題 4でも0でも、2でもなく』(中公新書、2005年12月)を参照されたい。