しかし、今日、中国経済の持続発展につれて、ますます多くの学者は、「中国は失敗、日本は成功」という従来の観点を考え直さなければならないと意識するようになった。今日、中国の発展を議論するのは依然として一種の予言に聞こえるが、鋭敏な研究者はすでに次のことに認識し始めた。近代化の道は一本だけではない。近代化発展の評価も単に経済指標に頼るだけではない。近代化比較の新しい視点を構築し、従来の一元的な進歩史観によって予め設定された単線的発展序列を打ち破り、多元化した評価基準を確立し、各民族国家の独特な文化個性を探らなければならない。
いわゆる「成敗」問題に拘って中日の近代化を比較するのは、中日の軍事的、経済的ないしイデオロギー的な競争あるいは対抗関係を反映したことである。私たちは中日比較における従来の考え方を変え、中国と日本は「どっちが成功、どっちが失敗か」を確認することから脱却し、それぞれの独自性を比較し、ぞれぞれの価値を考えなれればならない。このような新しい考え方によって、特定の発展段階における特定な基準による成敗拙速へのこだわりを乗り越えられるだけではなく、更に様々な自民族中心主義の幻想を打ち砕き、多元化した共生的な発展モデルを确立することには大いに役立つであろう。文化教育の分野においても、経済、政治ないし軍事の分野においても、双方いずれも、相手に経験を提供し、また相手を学ぶことができる。しかし、双方とも近代化の標準もでるにはなれないであろう。このような認識に立脚してこそ、真の「交流」関係を築き上げ、中日の戦略互惠関係の健全な発展を促すことができるであろう。
(孫犂氷 訳 區建英 校)
安藤潤 新潟国際情報大学准教授
私は李志英先生のご報告について、感想を兼ねて質問させていただたい。
東西冷戦が終焉し、旧社会主義国が市場経済を徐々に導入したということは、それだけ地球上に新たな市場が誕生し、企業にとって利益を獲得する場が増えたことを意味する。そのような状況下で、日本の主に製造業も中国へ生産拠点を移転させたし、日中間の貿易量もまた増加した。ところで経済取引が活発になったこととは日中間の民間企業の経済協力が進んだことを意味するのだろうか。たしかに日本企業が中国で生産すれば、中国での雇用を創出し、中国の労働者の所得を生み出すだろう。しかし、中国人労働者の賃金水準上昇は、利潤最大化行動をとると経済学のテキストで教えられる企業にとって、その達成を困難にする要因へと変わっていく。おそらく賃金水準の上昇とともに技術水準も上昇するので、一方では賃金水準に見合う高付加価値産業の製造拠点は中国に今後も残ると思うが、その一方で低付加価値産業の製造拠点はより賃金水準が低く、その生産に必要な技術水準を持つ途上国へと生産拠点を移すのではないかと思う。実際、中国では労働者の賃金水準が上昇し、製造業の一部はすでにベトナムなどへ生産拠点を移動させることを考えていると聞く。アメリカ経済が一つの極端な例であるが、市場経済と企業活動のグローバル化は、市場における企業の私的利益追求が負の側面を発揮し、経済格差を生み出しかねない。そのように考えると中国で活動する日本の企業はアジアにおける「経済格差拡大協力」を担ってしまうのではないかと危惧するが、この点についてはどのようにお考えか、お答えいただきたい。
答弁
小林元裕 新潟国際情報大学教授
史先生、唐先生、ご質問ありがとうございます。あまり時間がないので手短にお答えいたします。
まず史先生からのご質問のあった、歴史研究者が近年の歴史教科書問題をどう考えているかという点です。歴史研究者は問題となった「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書をまったく評価していません。というのはこの教科書は不思議なことにその執筆に歴史研究者がほとんど携わっていないからです。歴史学ではなく、政治学、文学を専門とする人が中心になって教科書を執筆しています。そのために教科書の持つイデオロギー性がどうかという問題以前に、その叙述に歴史事実の間違いが多く見られます。歴史研究者はこの点に多くの批判を加えました。
次に唐先生のご質問についてです。結局のところ日本国民はこの問題のあった教科書をどう受け入れたのかという点です。実はこの教科書は、一般の教科書と異なり、街中の一般書店で売られるという販売方法がとられました。そのためこの教科書は結構な冊数が売れました。ただその背景には「新しい歴史教科書をつくる会」がこの教科書をいろいろな団体、企業に配り、さらにこの教科書運動に賛同した団体、企業がこれを大量に購入するという動きが見られました。自分から進んでこの教科書を買ったという人はそれほど多くありません。そして結末として、この教科書はほとんどの中学校で採択されませんでした。中国、韓国ではこの教科書問題が非常にクローズアップされましたが、実際のところ教科書そのものの内容が国民に受け入れられたとは言い難いと結論できます。
鄭林 北京師範大学副教授
私は次の二つの質問に答えます。
1.中日の歴史教育交流において、日本が中国に送った日本の歴史教科書はどこに保存されているかという問題です。
中日の歴史教育交流は、主に中国人民教育出版社と日本国際教育情報センターとの間で行われ、双方は互いに相手の社会·歴史教科書を交換しています。日本が中国に送った歴史教科書は、人民教育出版社の図書館に保存されています。
2.多国間において歴史教育交流があるのかという問題です。
これまで中国と日本との間に歴史教育の双方向交流が比較的多く行われてきました。他の国との双方向交流はまだ少ないです。1980年代末から、中国の歴史教学研究会は進んで日本との交流を組織しました。中国全国歴史教学研究会は年会を開く時に日本などの国の専門家を招きました。日本の「比較史、比較歴史教育研究会」主催の「東アジア歴史教育討論会」にも、中国、韓国、朝鮮、ベトナムなどの国が代表を派遣して参加しました。各国の間の歴史教育交流は多くの条件に制約されています。最も主要な問題は、組織者と活動経費です。まず、歴史教育研究団体は国際交流の願望があって、積極的に交流活動を組織することが必要です。それから、活動を行う経費を調達することが必要です。今後、各国の歴史教育研究団体は国際交流を組織する面でより大きな役割を果たすよう期待しています。
(區建英 訳)
李志英 北京師範大学教授
司会者の指示通りに、私は中国の経済発展と環境問題との関係について総合的に答えます。
改革開放以来、中国社会は急速な経済発展を収め、社会生産力は大いに向上しました。しかし、経済発展と同時に、環境問題をもたらしました。とくに1990年代中期以来、環境問題は日増しに顕著となり、環境汚染、資源浪費、生産コスト増大などの問題が起こりました。しかし、中国人民と中国政府は環境問題をとても重視し、民間と政府とも積極的に努力して、生産の発展による環境問題をたえず改善していくよう努めています。中華人民共和国主席·胡錦涛は中国政府を代表して、調和が取れた社会を建設するという目標を打ち出し、この目標において、特に環境友好型の経済を建設するという課題を提起しました。すなわち、経済を発展させると同時に、環境と友好的に付き合うよう努力し、発展の将来性を未来に残さなければならないということです。民間には、多くの自発的な環境保護団体があります。多くの人は環境改善のためにボランティアとして働いています。多くの学者は環境問題を研究し、しかも政府と民間に対して絶えず各種の建言を出しています。これらの仕事はすでに効果を収めており、あるいは間もなく収められるのです。経済を発展させる中でどのように環境問題を解決するのかということは、日本がすでに経験しており、とても良い経験を蓄積しました。今後、中国は日本によく学び、しかも日本から多くの助力を得られるよう期待します。
(區建英 訳)